日本のシラバス、教員資格

 教員をしていると、年に一度、シラバスを書かされる。

1990年代から流行り始めたもの。そもそもは、アメリカの大学で行っている授業内容について書かれていたものを、意味を取り違えて輸入した。

 今では、どの大学でも書くようになり、その書くと言うことが文部科学省からのノルマのようになってしまっている。しかし、その際の書式の要件などは何も提示されていない。

 

<そもそもシラバスとは>
 そもそも元祖のシラバスの役割は、学生に対して何を講義するかを提示するものだけど、その役割は、同じ講義科目で、どの先生の講義を取るべきかという際の「カタログ」の役割。そう、単なる品定めの道具。同じ講義でも、どちらの先生の授業の方が自分にとって有用か?どちらの方が事前準備が少なくて済むか?どちらの方がレポートが楽そうか?等などを読み取る。
 教員は、授業内容や細かな約束を開示することで、学生を多くかき集める。その意味は、受講者数で給与が決まるから。だから教員は必死になって他の先生よりも「良い授業」をしようとするし、学生に取って有用な授業をして、結果、多くの学生を集めることともなる。
 この原理が日本には輸入されることなく、形だけが持ち込まれている。

 以前、NHKで放映されたマイケル・サンデルハーバード白熱教室
ハーバード大学の中でも人気の講義で、教室には入りきらないので、会場はホール。
 この人数を考えると、サンデル教授の授業からの年収は2億円程度にはなるはず。
逆に、無給でも雇われる講師制度は、若手の登竜門としての役割がある。そこで有能であれば翌年からは有給になり、下手をすればいきなり教授なんてこともある。

 教育者同士が、そうして競うことで教育内容が上昇していく。

 しかし日本はどうだろうか?
形だけのシラバスを輸入して、その本来の目的である、学生に品定めをさせて教員間で競うという部分が欠落している。まあ、日本でこれを導入すると長老の教員はたちまち学生を抱えることが出来なくなり、人数で配当され報酬が減り、居場所がなくなる。それでも、研究職という大学のもうひとつの分野で成果を出していれば良いのだけれど、往々にしてそのような方は高圧的で、学生達に自分の研究を押しつけ、自身の成果は少ない。

 

シラバスを公開する、なぞ>
 今では、文部科学省からのお達しで、どこの学校もバカみたいにシラバスを公開している。シラバスとは、その教員が手塩にかけて育んできた教育技法の塊。それを無償で世間に公開すること。まったく信じられないことがこの国では起きている。どこかの素晴しい先生のシラバスをそっくりそのまま実行すれば、良い授業の「骨」が出来上がる。調べると、素晴しい先生方は、そこら辺の所を熟知していて、上手いことザックリとしか書いていませんね。(アメリカの例。ハーバード大学シラバスの例)


 で、アメリカでは「シラバスの公開」なんてことは絶対にしません。
たとえば、これはハーバード大学シラバス検索の入口。

 で、ここからシラバスを見ようとすると、ハーバード大生に配布されているKey、つまりIDが必要になって、外部の者には見せない仕組み


 あったり前のことだけと、それが日本では勘違いされている。

 

<実務家教員の弊害>

 大学教員になるためには、内部からなるのも中々大変だったものを、ある時期から「実務家教員」という、いわばサラリーマンでも大学教員になれるルートを築いた。
 本来は、「産学連携」とかの合い言葉のもと、もっと、大学で研究したことを産業界にも行かせる、その橋渡しになると願って取り入れられた。
 また、大学側としても、企業にいた方なので就職先の恩恵が受けられると目論み、実務家教員を積極的に採用してきた。なので、どこの大学にも、NHK、大手商社、銀行マンなどの卒業者達がウヨウヨしている。

 結果、まったく役に立たない
それまでの企業という縦社会と違い、大学という教育機関は比較的平坦にできている。もしくは、分野が違えば関係することもない。同じ分野でも、シラバスの本当の意味がないので、互いの教育内容に対して批判し、切磋琢磨することもない。そんな中に企業マンを投ずれば、「教授」というさして高くもない称号をかざし、猛威をふるう。すぐに、その企業内カースト的な強勢を張る実務家教員は、教員、職員すべてに無視される。
 それでも、運営者側は著名な企業の人材を広告塔として、戦場から消えていった分を次々と繰り返し、繰り返し採用をしていく。

 もし、その教育機関がきちんと教育を施しているかどうかの判定が必要な時には、例えば大学選択などで、その大学の実務家教員の割合を見れば良い。一流大学では低く、Fランク大学では、ほとんどが実務家教員となる。
 あなたは、自分の大切なご子息様を、過去の自慢ばかりする、「教育技法」も「教育内容」もない教員達に託したいだろうか?